2007年04月27日

DJ修行日記−2

DJ S@MURAIとの出会いによってMambo・LatinJazz
へのDJ Styleに急激に魅せられて行くワタシ。
 しかしながら、初めから波乱万丈な壁にかたっぱし
からブチあたるのでした。。。。。

 地元でとりあえずレギュラーDJをやらねば。
 そう思ったのですが、いかんせん横浜にそんなに
サルサクラブなどありません。
 当時は元町のZERO・関内のMARIPOSA・黄金町の
OASIS LATINO・それから週一の元町Why not?くらい
でしたかね?当時習っていた関係もあって、まずは
ホームのMARIPOSAの火曜on2 NIGHTのレギュラーを
やらせてもらうことになりました。ワタシが始めた
当初は、KURA2さんがレギュラーで回しながらIKUZO
さんがやっていたような気がします。KURA2さんとは
ここでであったんですね。(というかそれ以前にレッスン
で横浜ダンス学院で会っているが)

 なにやらよくわからん機材と毎週格闘して、縦フェーダー
とクロスフェーダー、CDJのピッチなどDJの基本事項は
ここで中古の半分ブっ壊れた機材で学びました(笑)
 だっていつも途中でおかしくなるんだもん・・・・・

 2月くらいでしょうかね、いろいろやってみて思いました。
 ”かける曲が速すぎるんじゃないだろうか?”
 Quinto Maijorとか平気でかけてましたしねぇ。
 この頃はまだロマンチカ系とかわけもわからずかけていた
 気がします(笑)on2の意味をあんまり理解してなかった
 んですね。Los Vanvanとか持ってましたし(笑)キューバン
 だろっつうのに、ははは。バカっぽいです。

 その頃から土曜のMARIPOSAレギュラーDJがやめてしまったこと
 もあり、時期的にちょうどあったのか、横浜サルサDJの重鎮
 MARCOさんが横浜に戻ってらして、私も土曜のレギュラーを
 少しやっていたものですからお会いした時期でもあります。
 よく一緒にのみにつれていってもらいました。サルサの音楽
 の話とか、横浜のサルサ・ラテン界の今昔など、たくさんの
 話をしてもらい、それがワタシのサルサ関係の知識の礎になって
 います。

  火曜・土曜と入ってきて、ふ〜むもっといろんな風情の所
 で試してみたいなぁ、とムボーな考えで、元町のZEROにも
 しばらくDJしにいってました。2ヶ月くらいやったっけなぁ。

  こうなってくると週の半分がDJなのですが、ギャラが
 まともに出ない新米DJですから、交通費やら経費がすさまじい
 ことになり、DJをやればやるほどお金がかかってしまいます。
  当時はかたっぱしからCDを買っていましたので、預金残高
 がとんでもないスピードで無くなっていくのに危惧感がありつつ
 も、やめられない止まらないってんで突っ走って皿を回していた
 ような気がします。

  そんな折、ある大型のイベントにkura2さんの好意でお呼び
 いただきました。イベントDJ初デビューです。
  それが、川崎La Chitadellaで行われた”バレンタインサルサ”
 イベントだったのでした。
  ここで、またしても大きな出会いがあります。
 
  今やSHJに次ぐ大型イベント興行団体にもなったMs Projects
  (当時は団体ではなかった)の代表 MOTOKAさんと、横浜
  のシンボルイベント”LA Pachanga en la Casa”を主催
  するAniquiとの出会いでした。
   多分ここでこの二人に会わなければ、私は今頃ちゃんとした
  DJではなかったでしょう。ちゃんとした、とは、プロフェッショ
  ナルとして世に出ていけるDJにはなれなかった、ということ
  です。

   お世辞にもいい環境とはいえませんし、一般の方々への
  プレイベントということもあって、DJ、という主旨が本当
  に合っていたのかはわかりませんし、ここで手痛い洗礼も
  受けましたので、ある種私にとっては忘れられない場所でも
  あります。

   このあたりから、地元を離れてのPLAYをすこしづつする
  ようになります。

  (その3〜に続く)
posted by Halo at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | サルサ(DJ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

DJ修行日記−1

先日のコパのDJでとりあえず半年間の
DJ休業にはいったわけですが、日記をか
かないのもライフワーク上よろしくない
ので、ちょこっとづつなんか書くかぁ、と
思いきや、DJ以外のことはとんとこの数年
やってない私・・・・はてさて何を書くか、
と考えていたのですが、あんまり関係ない
ことばっかり書いてもしょうがないし、かと
いってRodrigoさんのようにサルサや音楽の歴史
を書くほどワタクシ大御所でも知識人でも、はたまた
メジャー系でもなく、アングラな皿回しっすから、
ここは自分のことでもあえてダラダラと書いてみる
かなぁ、と思います。

 ”なんでDJになったか?”ということをよく
会った方に聞かれるので、サルサとの出会いから
紆余曲折を経てDJになって、どんな所でどんな
ことをしてきて、何を思ったのかを徒然に書いて
みようかな、と。

 あまりためになることは書いてないと思いますが、
字数があるのでひまつぶしにはなると思います(笑)
ので、まぁ暇でヒマでどーしようもない時にでも
読んでくださいな。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 あれは、、、、確か2003年の初夏の頃でしたかねぇ。。。
 HPにも書いてありますが、知り合いのお兄さんが今度
 サルサっていうダンスのインストラクターを始めるから
 一度見にいこうよ、って当時同じ会社の先輩から誘われ
 たんですよね。
  サルサ?ソース?あぁ、音楽ね。
  当時Jazzをやっていた私は音楽カテゴリとしてのサルサ
 は知ってましたが、それで踊るなんていうことは全然知らず、
 まぁクラブなんつってもだいたい音楽かかっててダラダラ
 やってんだろう、的な思いでいたわけです。

  で、実際行ってびっくりしました。なんて体育会系な
 人達なんだ。。。。。激しすぎる・・・・・・・・
  そんなこんなでサルサ、というダンスカテゴリに入った
 わけです。
  まぁダンスネタはおいときまして、半年ほどガツガツと
 練習したり、レッスン受けたりしてきましたが、男性の場合
 あんまり急激にうまくなるわけでもなく、ワザだとかが中心
 になっちゃうんですよね。このあたりで”うまくならねぇなぁ”
 と思っていた矢先、ちょいと凹むことがありまして、もうサルサ
 やめちゃおうと思ったら、またしても偶然の出会いがありまして
 しからば音楽を突き詰めて、DJになろう!となったわけです。
 (この辺は以前の日記に書いてありますので見てみてください)

  当時六本木にも出てない田舎ものの私は、早速中央のラテン
 音楽を感じるべく、当時on2の拠点と言われた”Salsa Carnaval”
 へおっかなびっくり行ったわけですよ。当時教えてもらっていた
 IKUZOさんに連れられて。






  
  こ、こぇぇーーーーーー(((( ;゚Д゚))))






  う、うめぇぇぇ、この人達。。。( ▼o▼ )






  し、しかもなんだこのラテン音楽は!?きいたことねぇ
  ぞ!?

  それが、初六本木でDJ S@MURAIの音楽を始めて聞いた
  感想だったのでした。
  それまで横浜のクラブやらでかかる曲とは明らかに一線
  を隠すClassic Salsa。NYラテンとはこういうものなの
  だな、と思ったのでした(ちなみにNYラテンといっても
  広く、Classicを中心としたFaniaなどのものからBule Note
  系Latin Jazzと、90年代RMMが手がけた新しいNew Age
  Salsa & Latinを私は区分しております)
   元々地元でDJもどきというか、多少は回しておりました
  が、いかんせんDJというものがイマイチわかりづらかった
  自分、思えば私のDJスタイルは、この出来事とDJ S@MURAI
  との出会いによって決定していたのかもしれませんね。


  元々サルサをon2から始めているワタシ。その音楽的な真髄
  をまざまざと見て、どうせやるならこういう風にいきたい
  ものだ、と感じたのでした。

   そして、本格的にDJを始めるにあたって、レギュラーが
  必要だ、と感じ、”いつかは六本木で”を目標に、まずは
  地元で回す所を探す修行の旅が始まったのでした。

  (その2〜地元SPINとイベントDJにつづく)
posted by Halo at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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